5月
31
2007
2

調子こいとる

最近、調子がいいのが続く。

未踏が決まり、昨日も新しいベンチャーキャピタルの会社の方が来て世間話
をする。
この1ヶ月間は株も毎日数万円儲かり、昨日は1日でそこそこ稼いだ。そして今日もいい気になって世間話をしながらすごす。

おいおいおい、ちょっと調子こいとるんじゃないの!?
いい気になっているんじゃないの!?
そんな奴は天罰じゃ!

でも昨年1年間は厳しい状態が続いたんだから、少しぐらいいいんじゃない
の。許して。

調子こいとるうちに、そのうち一気にどかーんと何かが落ちてくるような気
がする。こういうときは、まじめにプログラムを組もう。
難しい課題を解こう。いつもより2倍働こう。

平常心に戻って、少しずつプログラミングをしよう。それが神が私に与えて
くれた仕事だから。

自戒を込めて。

そんなことを考えていたら、植木等を思い出しました。
(調子こいとるというのは名古屋弁かな)

5月
30
2007
2

【本】金持ち父さんの 金持ちになる ガイドブック

書名: 金持ち父さんの 金持ちになる ガイドブック
著者: ロバート・キヨサキ+シャロン・レクター
出版: 筑摩書房
値段: 952円+税
ISBN: 9784480863591

著者による「金持ち父さん貧乏父さん」という本を通して、大きなショック
を受けた。「いい借金と悪い借金」の話や「雇用者や専門家はいつまでたっ
ても、お金持ちになるのは難しい」という話。それがきっかけで、安定して
いる会社を飛び出したといってもいい。

本に影響されたというよりも、もともと同じような考えを持っていたので、
背中を押してくれたといってもいい。この著者の本は賛否両論があると思う
が、著者の実体験に伴うオリジナルな考え方だと思う。

この「金持ち父さんの 金持ちになる ガイドブック」は図書館で手に取った
ものだが、途中まで読んで「あっ2回目じゃん」と思った。本の内容も他の
本と重複するところもあるだろう。だけど、今回読んでまた新鮮に思えたこ
ともある。何度読んでもそのたびに新しい発見があるかもしれない。

いや前回読んだときは、きっと頭では分かっていても腑に落ちなかったのだ
と思う。今回気付いたことを2点あげてみる。

・何かを得るためには、代価を支払わなくてはならない

その代価はお金とは限らない。何かをしようと思うと、何かを大切なものを
犠牲にする必要があるかもしれない。

仕事と家庭のバランスをとることが難しいと、このブログで愚痴ってきたが
とても悩んでいる。家族は大事だが路頭に迷うことがあってはならない。仕
事が大事だが、家族を大切にすることは夫として父としての義務であるので
それを十二分に果たさなくてはならない。もちろん家族との生活をもっと楽
しんだ方がよい。

この法則から言えば、仕事で成功するためには家族や私生活を犠牲にしない
といけないのかもしれない。仕事でも家族でも成功したければ、他に代価を
払うものを用意しなければいけないかもしれない。私生活や趣味か、それと
も別の何かか。

著者の言葉は、何か変わろうとするときは、何かを変えないといけないとい
う意味だと思う。ダイエットをしようと思えば、運動をするか、食事や間食
を減らすように生活習慣を変えないといけない。運動もしない、食事も従来
どおりのCMのようにはいかないのである。

ときには古い服を全て捨てる、今まで大事にしていたCDを全て捨てるとか、
英語の勉強をするために夜の付き合いをしないとか変えないといけないよう
だ。何かをするためには、自分が変わらないことには始まらない。

・失敗をすることを恐れるな。失敗から学んで先へ進むことができる

マニュアルを読めば学んでいける。しかし優等生でもマニュアルに書いてあ
ることはできるが書いていないことはできない。現実はマニュアルに書いて
いないことがおきることが多い、そのときにどうするか?

最初から成功することもあるだろうが、失敗することもある。
もし失敗したら、そこから失敗の5W1Hを得て、次は失敗しないようにする。
そうやって物事は学んでいくものだ。取り返しのつかない大きな失敗を最初
にしなければ立ち直ることはできる。小さな失敗を積み重ねていけば、失敗
を繰り返さないだけでなく、失敗から立ち直る方法、失敗から学ぶことも多
い。その失敗を重ねた厚みが、その人間をゆるぎない柔軟な大きな人間に成
長させる。

私も子どもは小学校なので、どんどん失敗させている。手取り足取り教える
ようなことはせず、頼まれたときだけ必要なだけの助けをするだけである。

Written by ohashi in: 楽天日記 | タグ: No Comments »
5月
28
2007
2

親ばかモード:娘はすごい

地元知多市の小中学校の陸上競技会がありました。娘が出場するというので、
家族で応援しに行きました。

陸上競技の記録が良くて希望する人が、市内の小学生から選ばれて、知多市
の全ての小中学校の生徒が参加します。
100m走、400mリレー、走り高跳び、走り幅跳び、ソフトボール投げ、長距離
走があります。

娘は小学校でバスケットボールクラブに入っていて、同じクラブの人が参加
するからというので一緒に参加したそうです。400mリレーは補欠になりまし
たが、走り幅跳びの選手に選ばれました。

(私も同じ小学校で6年のときに走り高跳びに参加しましたが、補欠にも入
れてもらえませんでした。それについての話はブログに書いたっけな?)

息子は小学校1年、2年と運動会のリレーの選手に選ばれて、「おっ、すごい
じゃん」と思いましたが、娘も運動神経が良かったなんてびっくりです。

写真はちょうど娘が走り幅跳びを始めるところです(顔が小さく分かりにく
いので、娘からOK出ると思う)

結果は、2位でした! おめでとう!!!
http://plaza.rakuten.co.jp/sayuri1995/diary/200705270000/

私は運動神経が良かった母に「あんたは運動神経悪いからね。父親に似たの
かな。」とさんざん言われてきました。中学校1年のときにバスケットを始
めたとき急に足が速くなったりスポーツが得意になってきたのですが、それ
からやる気を失いました。先日母が「あんたはやらなかっただけかもね。」
と言い直していましたが。

それとも娘も息子も、妻のフィリピンの血を受け継いだのでしょうか。
野や山をかけめぐり、ココナッツの木にも登る、自然児の血を受け継いだの
か。妻はスポーツは苦手ですが、妻の兄弟は元気で得意なようです。フィリ
ピンには運動会や競技会が日本のようにあるわけではないためわかりませんが。

祝賀パーティということで(妻がいつの間にか企画して)、半田の(ブログ
に書いた)マリノへ行きました。その後、妻とは1週間ぶりに仲直り。めで
たしめでたし。

しかし、娘はすくすくと育ってきてうれしいです。
私はひがみ根性で劣等感の塊ですが、スポーツもやり、勉強もそこそこ、本
が好きで、友達ともいい関係を築けていているのはすごいことだなと思いま
す。本人にとっては大変な思いでそれぞれやっているんでしょうけれど。

親ばかモードでいえば、娘は妻に似て器量よしだと思います。欠点は私に似
ているところもあり、眼の辺りと足が太くて大きいところ。肌は妻に似て浅
黒いです。

娘は父親にとって理想の女性なのかもしれませんね。だから娘が結婚すると
きは、別の男に取られてしまうと辛く感じるのかもしれません。

息子もまだまだですが、がんばっているようです。

私も子どもに負けないようにがんばらねば。

5月
27
2007
2

経済学とPythonと

お昼に最近お知り会いになれた経済学者が訪ねてきてくれました。分野が全
く異なるが、スクレイピングというテーマが縁でお知り合いになることがで
きました。

一度こちらから挨拶をさせていただこうと思っていましたが、わざわざ来て
いただきました。お土産もありがとうございました。

ほとんど初対面なのでお互いのバックグランドや腹の探りあい?から、始ま
る。久しぶりにアカデミックな話を聞けてうれしかったです。

やはり私はアカデミックなところで、めちゃくちゃ考えているところが居心
地がいいのかもしれません。どこで道を踏み外してしまったんだろう(自分
のせいじゃ)。

救いはコンピューターサイエンスは、アカデミックなところとビジネスが非
常に近接しているところです。他の居場所はなかったかも、それでもビジネ
スを始めておもしろいところを探しているのは、やはり自分としてしょうが
ないところかもしれません。

経済学については「ヤバい経済学」という本をおもしろいと思っていました
が、何か人の動きや経済の動きをモデルとして作り、それが現実のシミュ
レーションができると未来予測や、複雑系のカオス的な現象に陥るのを避け
ることができていいかもしれません。いえ、何か商売ネタが見つかるのかも
しれません。それをビジネスインテリジェンスやデータマイニングという分
野でやっていますが。

まだモデル形成に関しては不勉強なので、もっと教えていただこうと思います。

本日はありがとうございます。

その後は、PythonのWorkshopに参加しました。
元々あいちベンチャーハウスにいたVishという会社が中心となって、東海地
区で初めてのPython Workshopを催したようです。私はRubyを使っています
が、Pythonの動向も気になります。

http://www.python.jp/Zope/PyLog/1179001207

私はRubyを使っているが、実はどちらの言語を主に使っていくかどうかで悩
みました。いまさらPerlもないだろ。PHPはWeb画面を作るのにはいいがぐ
ちゃぐちゃだと思い、PythonかRubyが残りました。

Pythonはアメリカでよく使われていて、ライブラリが豊富そうです。Win32
アプリケーションも簡単に作れるそうです。ランタイムコンパイラのおかげ
で速そうです。
Rubyは日本語のテキストを扱うときに最適であると考え、それにこれからの
言語だと思いました。Ruby on Rails 1.0ぐらいのときに評価が高かったの
で、Rubyを選ぶのを後押しした。それだけ。ランタイムコンパイラがなかっ
たけれど、ささださんのYARVが成功すればPythonとの速度差はなくなるだろ
うと予想しました。

たぶん単なる宗派の違いで、どれがいいとも悪いともいえない。好みの問題
だと思う。

いざとなれば、Ruby にPythonを組み込むライブラリもありますから(使わ
ないだろうけど)。
Ruby/Python
http://www.goto.info.waseda.ac.jp/~fukusima/ruby/python-j.html

Python Workshopの講演者や主催されていた人は、Vishの社員の方だったん
ですね。3年前にいらっしゃったなんて驚きです。よく名古屋で優秀な方を
集めることができたなぁと思います(他意はありません、狭いので)。

3人で始められたとのこと、やはり仲間は必要ですよね。(ノ_δ。)

さて、PythonのWorkshopは盛況のうちに終わった。
Rubyの勉強会はどうしようか。早く答えを出さなきゃ。

5月
26
2007
2

【本】脳と仮想 後半

【本】脳と仮想 前半の続きです。

http://plaza.rakuten.co.jp/solis/diary/200705150000/


脳と仮想

Amazonで購入
livedoor BOOKS
書評/サイエンス

私の特技と言ってもいいかどうかわからないが、料理の味を見ただけで当て
ることができるというのがある。写真を見て、その素材の混ざり具合を見
て、料理を作るところを見て、だいたい料理の味を想像する。

たいてい予想した味と、食べた味は一致している。

逆に素材と素材を組み合わせたときにどのような味になるか、調理方法でど
のような味になるか、頭の中で仮想実験をする必要はあるのだがだいたい当
たっていると思う。

世界中をまわっていろいろな料理を口にしたことや、味の記憶がはっきりし
ているのかもしれない。味覚を言葉で表現することはしにくいが、視覚の色
とはちょっとちがう「あの、その味」という印象として味を覚えている。そ
れに組み合わせることもできる。

その弊害として、食事にはこだわらないようになった。
おいしいものを探してラーメン屋を探したり、イタリアレストランを彷徨う
ことはない。

写真を見ただけで、味がわかり、もうおなか一杯。
大岡越前の裁定で「うなぎの匂いを嗅いでご飯を食べる人に、匂い料を徴収
できないか」という話があったが、写真を見るだけであとは腹さえ膨らませ
ばいい。もちろん味覚もわかるので、食べておいしいものは、なおおいしく
感じる。

(ひょっとしたら味覚の範囲が狭くて、味わうことができないだけかもしれ
ないが)

ただそのうなぎの味は、私が感じている味と他人が感じている味は同じだろ
うか?私は甘いたれで味付けをしてあるが、少し歯ごたえがあり脂がのって
おり、口に入れた瞬間に芳しい匂いが広がり、身体の中からアドレナリンを
放出されるようなその味を感じる。これでもうまく表現できたとはいえない
がその食べたときの感覚は、他人と同じものを共有しているだろうか?

おそらく、うなぎ本来の持つ味覚は現実としてあるのだが、人それぞれにう
なぎの味覚という仮想の世界があり、それは微妙なところで食い違う。

例えば梅干は日本人にとってはなくてはならない味だが、外国人にはその
酸っぱさは未経験で仮想の世界を共有していない。そういった差が個人間で
あり、その仮想の世界を共有するためには大きな断絶が存在する。

こうして本の後半は、私たちが見ている世界は仮想の世界であることが証明
されたので、その仮想の世界を探求している。

私たちが思い込んでいる世界は現実のものとは違う。現実のものと違うこと
を身をもって知ったときには、大きな驚きを伴う。前半で述べているように
仮想の世界は私たちが現実の世界を全て理解できず省力化のために生まれた
ものである。

また仮想の世界は蓄積されるものでもある。

私たちの言葉、文化、身の回りの生活といったものは、過去から蓄積された
ものである。

言葉を一つ取り上げてみても、それは今発明したものではない。過去にある
人物の仮想の世界から創造される。その言葉に共感を持てば、他の人が仮想
の世界で使う。その後たくさんの人の仮想の世界に関わってくれば、その言
葉は生き残る。その言葉の持つクオリアが現世に価値あるものであれば、現
世に生きる人それぞれが、その言葉を自分の仮想の世界に取り込んでいるの
である。

この本を通して非常に考えさせられた。
著者は東京大学を出ている秀才であり博学家である。幅広い知識を持ち、脳
科学の専門であるが文学や哲学にも秀でている。脳やその仮想の世界につい
て論じたブルーバックスのような本であれば、図解入りでわかりやすくさ
らっと読めたかもしれない。ところが、これは哲学書であり評論書であっ
た。大学受験前に小林秀雄の難解な文章に悩まされた私にとっては、その再
来であって苦労させられた。

しかし一方でこういった難解な哲学書を若いときに読むことを挑戦してこと
ごとく敗れ去ったが、関心のある脳科学にについて書かれていたのでどうに
かついていくことができた。

「自我とは何なのか?」「世界とは何なのか?」と深い思索の旅をするため
の道案内としてこの本は価値がある。